〜星のせせらぎ 太陽と月〜

こころ・からだ・魂、笑顔・元氣・幸せ、これら3つで1つの言葉を大切に、言の葉 (音と耳、観じること)手 (氣、空気、活力)目 (見守る、みつめる、慈しむ、愛)をもって、日々を日常を楽しく過ごすこと、自分の勤めにこころ寄り添い過ごしています。おからだ・お顔セラピー、インナーチャイルドケアセラピー、心理占星術・トートタロットリーディングのセッションなどに従事。

宇宙 星のお話会 ご報告

先日は今野智子さん、高野藤衣さんのランチ会でした。

 

ランチ会につきましての、お二人のブログは、こちらをご覧ください。

 

*今野智子さんのブログはこちら

ameblo.jp

 

*高野藤衣さんのブログはこちら

ameblo.jp

 

 

お越し下さったみなさまの、温かなおこころのお陰さまで、本当に笑顔溢れる、笑い声溢れる時間となりました。

 

笑顔 笑い声

 

この氣って、場の温まりって…本当に凄いです。

 

 

ご参加の皆さまが元気になられていく、お気持ちがスッキリ晴れ渡るような、そんな表情を、ランチ会の後、みなさまから溢れ出ていらっしゃったこと、そのお姿に出逢えましたこと、本当に、幸せでした。

 

 

おかげさま

 

 

一人で出来ることには限りがあって、

一人では決して生きていなくて、生きられなくて…

支え支えられ…

 

相互依存

 

で成り立っていること。

 

 

宇宙は物質の相互依存で成り立っている

 

一人では絶対に生きていくことはできない

 

 

この言葉が浮かびました。

 

 

自然とのかかわり、誰かとのかかわり

 

 

本当に、生きていることはすごいこと。

 

 

今を生かして頂いていること…

有難いなぁって、ただただ、そう想いました。

 

 

そして、今までめぐり逢えた、たくさんの出逢いとご縁、

そして経験、出来事も…

今までのどれが欠けても、今の自分にはなっていないから。

 

すべてのことに、すべての出逢いあってこそ…

色々なことを観て、感じられる今の自分。

 

 

おかげさま

 

 

先日のランチ会を終えて…

色々感じること、浮かんでくる想い、溢れ出る言葉はたくさん、ありましたが…

 

 

今を真剣に生ききること

 

 

自分自身を生ききること

 

何者かになるでもなく

 

何者かになろうとするのでもなく

 

何者になるでもなく

 

 

信じる道を、信じた道を、真剣に、生きる

 

今出来ること、させて頂けること

目の前のことに、真剣に生きる

 

自分自身を、生ききる

 

 

愛を観じて、愛と一緒に、愛をみつめて…

 

そう観じた時間でした。

 

 

この度ご参加頂きましたみなさま、

お声を掛けて頂きました、高野さん、今野さん、

誠にありがとうございました。

 

 

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宇宙 星のお話会

本日、お伺いさせて頂きますランチ会にて、お話させて頂く内容から、

ご参加者のみなさまのホロスコープを拝見していた時に、この度主軸にしているある詠み方をきっかけに、

 

あぁ、まさに…ここ…!

 

って、心が震えて、感動する瞬間を感じて、改めて味わっていました。

 


ホロスコープを観て詠ませて頂ける喜び

 


パーソナリティを知ることの1つでもあるホロスコープ (ネイタルチャート)

 

ホロスコープに携わる身ではありますが、

ホロスコープを知らずしても、今の自分(人を一人称で表す時の表現としての自分)のこころのままに感じて、観て、体感していることで、成り立てる日常は、あるとも思っています。

 

 

そして、

・二次元の世界で表現される紙面、またはパソコンで作成したホロスコープ、アプリなどで現れた画面上から観る、詠む

・限られた時間でホロスコープを詠むこと、その時その場、タイミングなどの条件や環境

ホロスコープを扱われている方の詠まれ方と言葉の使い方

ホロスコープを詠むその時に、どこに焦点を置かれて詠まれるか、お相手にどうお届けになられるか、なられたか

・聴いてくださる方 (ご依頼者)の、お伝えした言葉や内容の受け取られ方は、どのように感じられたか、どのように伝わっていらっしゃるか

 

など、

そのような中で、

限られた枠や範囲と表現し得る、その方のホロスコープ (ネイタルチャート)を、拝見させて頂く時には、その方の全て、というような言葉は、当然不可能でもあるし、言葉の限界と共にあるような世界とも言い得るものもあると観じています。

 


なので、紙面になって出てきたホロスコープから詠みたくだけでは、お伝えし切れないものは、たくさん。


ただ詠む、だけではないもの


ホロスコープが間にあって、人と人が言葉を交わす

心を通わせる、交流がある


 

そして、その時々によって、いかようにも、

人と人との間には、

観える世界も見てる世界も、描く世界も、

それぞれの彩りが奏でられている

 

 

その世界は、良い悪いの表現の言葉でするものではもちろん、なくて。

 

 

そのような場や時間に

ホロスコープという存在の神秘に、立ち合わせて頂けるものがあることに、

心震えて、心ときめき、

その方その方の、生きている今、命に触れさせて頂けているような感覚があるから

ホロスコープと共に居る。


 

そして、ホロスコープを通して観じみる神秘は…

 

人とまさに同じで、

お逢いする度に、その方のまだ観ぬその方を感じられるように

ネイタルチャート (ホロスコープ)を詠ませて頂けば頂くほど、

ネイタルチャートから溢れ出る、ネイタルチャートをきっかけとして得られる、

新たな発見や気付き、その方を深く知ること、深く感じることに繋がっていくこと

 

 

ネイタルチャートは、自ら言葉は発しないけれど、

たしかに発っしてる声はある。



そのような体感や瞬間に立合わせて頂く時、ネイタルチャート (ホロスコープ)を拝見させて頂いて、こころ揺さぶられる瞬間は、

言葉では言い尽くせない、表現仕切れないものがあります。



以前のブログで、曼荼羅とお伝えしたこと、ありましたけれど、

ディスクオルゴールのような存在でもあるなって、観じたりもしています。

 

 

こころが震え揺さぶられる、そのバイブレーションを、お客様(ホロスコープを詠ませて頂くお相手)と、お互いに感覚で捉え合って、

その場で想像していなかった、感動や調和や融和が生まれる…

そんなホロスコープを詠ませて頂けますように。

 


 

お一人お一人に寄り添って、

その時と場に寄り添って、

連鎖、循環のエネルギー、相互作用と…

その時々のみなさまの内なる力になれるものとして。

 


人の魂が表現されたものの1つ、曼荼羅と観じるネイタルチャート (ホロスコープ)を、

詠ませて頂くご縁を頂けましたこと、こころから、感謝の気持ちで一杯です。

 

 


いのちあるものは、みんなみんな星のかけら。

ぼくたちは、みんな星の子どもなんです。

 

 

いのちあるものはすべて、燃えると真っ黒になります。

 

人間植物も動物も。それらは、ぼくたちの体の主成分が炭素だから。

 

いのちあるものはみな、宇宙にばらまかれた星のかけらでできています。

 

すべては光から生まれ、生命の素(もと)は星の輝きの中で合成され、

その星が超新星爆発という終焉を迎えることによって、地球やぼくたちは誕生しました。

 

ぼくたちのいのちは、星の死によって生まれたのです。

 

すべてのものは、原子分子でできています。

 

その集まり方で、ぼくになったりあなたになったり。

 

ほとんど違いません。

 

ほんのちょっとの組み合わせの違いだけです。

 

それで、死んで焼かれてしまっても、炭素がなくなるわけでばない。

 

炭素は、並び方によってはダイヤモンドになることもある。

 

形の変化でしかないないのですね。

 

まるで般若心経の世界のようです。

 


 

このお言葉を伺った時に、

いのちの壮大さ、美しさ、感じました。

 

 

ホロスコープは、ある特定の瞬間の太陽,月,惑星,黄道十二宮、および地表の位置関係を表わす天体配置図

 

 

人とホロスコープ

天体と宇宙と

 

繋がりあって

 

 

お一人お一人がされる、冒険の旅、宇宙の旅をするときの、

きっかけとなる選択肢や、

自分では見つけられ無かった、

想像し得なかった、いくつかの旅の種類を、

旅へと向かう行き方や道順、方法を、

地図のように、自分のホロスコープを拡げてみて


その地図を参考に・きっかけにして、

自らの意志や意識で

冒険の旅に、宇宙の旅にと、行動・実行した時に

目に映る、見つめる世界、

観じる世界が拡がる過程は

 

ホロスコープという範疇を超えた

自分へと繋がる・結ばれる道に、なっていくのかも知れません。

 

自分を進化させていく道に、通じていく、

自分の素晴らしさを、感じたり再発見したりする道に、通じていくのかも、知れません。

 

 

ホロスコープは、きっかけの一つ

 

 

人と人との結び付きのように

頼り、話を聴く存在のように

ネイタルチャート (ホロスコープ)と自分、対話をして深めていくような

そのよう時間と場を、これからも創らせて頂きたいと思っています。

 

  

本日のランチ会

 

どのような世界を、宇宙を、皆さまとご一緒に旅するのでしょうか…。

 

 

【宇宙と星のお話し会】

 

この呼び名の元、本日のランチ会、お伺いしたいと想います。

 

  

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命の灯火を明るく温かく照らすように…

春休みシーズンの今。

 

その中、今日のこちらは、冬の陽気となりました。

 

みなさまのお住まいは、いかがでしたでしょうか。

気温の差に、体調も影響されるかと想います。

どうぞご自愛くださいね。

 

 

4月になると、新入生、新社会人、電車の中では真新しい制服やスーツを着た方々の姿も増え、新たなスタートの時期。

 

桜も咲いて…町中にはたくさんの花も咲き始め、そして、若葉の青々とした季節へ…。

 

 

新学期、新年度の始まり、その雰囲気を、頂き感じながら…わたしも今、準備していることがあります。

 

 

その準備にあたって…

3月は、答え合わせをさせて頂いていた、と感じる毎日でした。

 

 

そして、その時間を通して、わたしの根っこ、

大切にしたい核と言いますか、真と言いますか…感じたりもしました。

 

 

命の灯火を明るく温かく照らすように…

 

 

今までの道で、人の死に立ち合う場面は、少なくありませんでした。

 

 

それは、祖父の死から始まり、

同じ歳だった親戚の女の子の、小学五年生の死、

小学時代、中学時代の友人たち、

祖母の死、

叔父の死、

職場の先輩方の死、

そして…実父の死であり、高校時代の友人の死…。

 

 

比べるものでは決してないけれど、

こんなにも身近な人の死に立ち合わせて頂いているのは…何故だったのだろうと思ったりもしました。

  

 

その死の場面に立ち合う度に、

どん底という、悲しみを味わうこともありましたし、

その底から、何度となく救って頂たり、助けて頂いたり、してきました。

 

以前のブログで書いた

 

 

〜救い・助け〜 この言葉に思うこと

 

hoshi-taiyo-tsuki.hatenablog.com

 

こちらに書かせて頂いたのは、

今まで味わったどん底

何度も何度も救って頂き、

助けて頂いて来た、

周りの方々のお陰さまがあったから。

 

周りの方々がいてくださったおかげさまで、

どん底から引き上げて頂いた。

 

そこに通ずる想いがあったから。

 

 

人には助け助けられの関係は必要だし、

救い救われの関係は大切だと、心底、思っています。

 

様々な場面で、この言葉を、体感として感じてきたと思っています。

 

 

一切泣かなかった、泣けなかった、その言葉が適切な表現と、感じる時もありました。

まんまの心を、そのまま表現することが、いかに難しいか、裏腹が必要な場面も、ありました。

 

悲しんでる場合じゃない、と感じること。

泣かない方が、その場を過ごすには、楽になのかも知れないと感じること。

 

何も発せず、ただただ、黙っていること。

 

いろんな場面も、ありました。

 

 

 

 

人には寿命があって…

人間最後には必ず、命というのが耐えて…

人それぞれの命の終わりがあって…。

 

目には見えないけど、ずっとあなたのそばに居るのよ。

肉体としては、見えるものは亡くなるけれど、魂は生き続けていくから。

 

 

そういう仕組みのような、命の営みのような…そういう“答え”を、聴きたいのでは無い時も、ありました。

 

 

 

そんな時、必要なことの一つには

 

寄り添うこと

 

があると思うのです。

 

 

身体が震えてしまうほどの

発する声も震えるほどの

そんな気持ちが溢れてきたら

ただただ、抱き締めたり、側に寄り添うだけで

救われること、助けられること

 

手から伝わる想い

身体から伝わる想い

 

 

目から手から

そして

言葉から

 

 

どれだけの光が見出されるか

人のこころに、命に

灯火をもう一度、灯して、

命を芽生えるきっかけになる。

 

 

今までの出逢い、そしてその出逢いの命へのさよならに、立ち合わせて頂いたこと。

 

お一人お一人の命の重み、生きていること、

生かして頂けているこの奇跡を、

めぐり逢えたというご縁を、

わたしはもっと、もっと、愛でられますように。

 

 

支え支えられの人と人の間に、

お互いさまの人と人との間に、

お陰様のこころの触れ合いに、

お力、お役目、お手伝い…

させて頂けることがあるのなら、

この命を使わせて頂けますように、

勤めさせて頂けますように。

 

喜び幸せ、笑顔を…一緒に、分かち合えますように

 

 

 

 

4月の始まりを前に、

わたしの原点を、

認めてさせて頂きまあう。

 

 

今までのすべてのものに、

人に、出逢いに、経験に、出来事に

 

ありがとう

 

この言葉を、添えて…

4月を迎える今へ…。

 

結びたいと思います。

 

 

 

 

みなさまとご一緒に…

巡り合い、出逢うことの出来た、

かけがえのないご縁のみなさまと

共にあれますよう…

生かし生かして頂けますよう、

こころから、願い祈って…。

 

 

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足すも引くも無い世界

2月は駆け抜けるような時間を過ごしていたせいもあって、その反動か、3月は緩やかに時間を過ごしているように感じています。

 

実際、時間の使い方自体も、違うのもあって。

 

その1つが、


“人との時間の過ごし方”

 

 

2月は、仕事でお逢いする方々が、ほぼ9割、その中、面識ある方々も9割。


3月は、仕事以外でお逢いする人との時間も増え、さらに、初めましての方々、お久し振りにお逢いした方々が、この時期までの大半を占めています。

 

そうすると、自分という自分の見方や感じ方に、ちょっと変化が出て来るものだなって観じます。

 

 

新たな一面や発見というのか、自分の想っていた、今の自分の姿や自分の印象って、今感じて想っていた自分と違っていたり、変わってきたり。

 

もちろん、面識ある方々から頂く気付きや、学ばせて頂くことも、山ほどで。

 

ただ、第一印象という、初めまして、から紐解かれる印象や、イメージというものを、もう一度、というのは、すでに面識ある方々から、関係を育んで、時の流れと共にあった上で、イメージを頂くのとはまた違ってくるものですから。

 

 

そして

 

変化は怖いことでもなくて

不安になることでもなくて

特別なことと、思い過ぎるものでもない

日常の一部

自然の流れと同じようなもの。

 

 

桜の花も、春に花を咲かせ

新緑の時を迎え

秋には深みある紅葉となり

冬には葉を落とし

その時には、次の春に咲かせる花の、準備の為に、静かにゆっくりと、自分の命を蓄えながら、蕾を芽生えさせ、膨らみ…

新たな春に花を咲かせる。

 

 

自然の中のこのような流れは、人にも自然に備わっていて、

そのバイオリズムに同調するならば…

変化について想うことや、

視点や捉え方も、その時々で変わっていくものでもあって、

今目の前で観ていると思っている、

映っている世界も

観える世界も、

ガラッと変わることさえ、自然なのかも知れない。

 

 

今年に入って

わたしは削ぐことを増やしていて、

そして、今月に入ってからは、

いろんなことを、今までとは逆から捉えてみることも、

ちょっとしたエッセンスとして、入れてみたりしている。

 

 

例えば、足りないと想うことがあった時に、足りてるものは何だろう?とか

あると感じていることには、無いことはなんだろう?

というように、

反転させてみてみる

というような。

 

 

そんなことを、繰り返して、たくさんの方々にお逢いした時間も過ごして、

 

ふっと浮かんだ、昨日の言葉が…

 

 

“自分” には足すものも引くものも無い、すでに、完璧

 

 

という言葉。


ここでの自分は、1人1人の人に当てはまる意味の「自分」。
(このブログを書いている、私=自分、での表現では無くて)

 


成長する必要はもう無いとか、学ぶ必要はないとか、そういう意味での足すものは無い、ではなくて。
成長や進化の過程を通して、変わるもの、変わっていくもの、変えていくもの、そういう意味での引くものもは無い、でも無くて。

 


軽々しく使うつもりはないのですけれど、
この体感はきっと


魂について観じた


足すも引くも無い、完璧


なのだと想うのです。

 


イメージは、灯篭の灯りのような

キャンドルの灯りのような
灯火の揺れの中にも
芯のある、真っ直ぐ伸びる炎を感じたような
そんな言葉でした

 


自分には、足すものも引くものも無い、すでに、完璧

 

 

この言葉を耳にされた時

 

 

 

 

どう感じられますか

 

 

 

 

何を感じますか

 

 

 

 

何かを、感じられますか

 

 

 

 

何かを、感じましたか

 

 

 

自分には、足すものも引くものも無い、すでに、完璧

 

 

この言葉が表に現れたことで

起こっていくであろう何かを

これから味わっていきたいと思います

 

 

この何かを深く深く観じて

より言葉にして表現出来るようになった時に

またより深い気付きが起きた時に…


この言葉から紐解かれたもの

観えてきたものを綴れたら…

と、想います。

 


今は…ここまで。

 

 

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背伸びはせずに

ただ、伸びたいように、伸びること

拡がりたいように、拡がること

 

その伸び方が、例え、ある視点から見て

不自然な伸び方であったとしても

 

その拡がりが、無駄な拡がりと、感じたとしても

 

その伸び方が、無意味だとか、必要のないことと、思ったとしても

そして、その拡がりが、不必要だったかも、と、感じることになったとしても

 

伸びたいように、伸びて

拡がれるだけ、拡がって

 

両手広げて、深呼吸するように

身体と心の声に添って

 

 

もっと大きくなろうとか

もっと高くなろうとか

目指して進むとか、達成させるとか

そういうことでもなくて

 

 

ただ、伸びて拡がる

 

 

枝葉が拡がる木のように

 

青く生い茂る、木のように

 

その生い茂った、枝葉で

時に、人の木陰になって、陽射しを凌ぐような、雨を凌げる傘のような

時に、酸素たっぷり、葉っぱから吐き出して、その酸素を吸った人の心が澄んで、清々しい気を体感頂けるような

木漏れ日の隙間から、漏れる太陽の陽射しを浴びて、元気と活力が漲れるような

 

そんな

色取り取りの、彩り豊かなエネルギーに満ちたものを携えて

伸びて拡がっていく姿のように

 

 

自然に任せて

 

 

こんな伸び方する木だったかな

こんな色の葉っぱ、付ける木だったかな

こんな花、咲く木だったかな

 

「こんな生い茂る木だったかな」

 

そう、こんなだったのかも、実は。

いや、こんなじゃなかったと、思い込んでたのかも、実は。

 

 

想像の範囲内でなくて、想定内でもなくて

意外性や、前例の無い

そんな景色も、観てみたいから

 

 

わたしにとっての、大切なものたちを

大切に、大切にして。

 

出来ること、やれること、とことん、味わいながら。

 

 

拡げていこう。

 

伸ばしていこう。

 

 

春はすぐそこ。

 

花、愛でに

 

行きましょう。

 

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〜救い・助け〜 この言葉に思うこと

今日は3月10日。

 

この時期だから、この時だから、特に感じているのか…

分からないけれど、

わたしの中に、溢れていた言葉たち。

 

~ 3月10日

東京大空襲

 

 

~ 3月11日 

6年前に起きた、東日本大震災

 

祈りと願いを

お一人お一人の平穏な日々への祈りを願いを。

そして、

全ての方々への平穏を祈って。

 

わたしの今のこころのままに、綴ること、

そのこころに添って、このテーマを紡ぎたいと想います。

 

〜救い・助け〜 この言葉に思うこと

 

***

 

わたしは、救われたって、感じることが、場面場面で、とてもあったし、助けられたと感じることも、そう。

今現在も、たくさんあります。

 

救う、助ける、という言葉たちに、抵抗は無いし、むしろ、この言葉たちは、人にとって、力となる言葉だと観じています。

 

 

言葉って、その方々の生まれた時代背景、環境、経験、関わってきた人たちや、育んできたもの、成長過程によって、言葉一つとっても、解釈や認識、表現の仕方、捉え方、使い方は千差万別で。

 

 

だから、ということは、確かにあるかも知れない、とも観じていて。

 

 

その中、わたしは、

 

〈救い 助け〉

 

という言葉は、これからの一人一人の心の中に、とても大切で、必要な言葉だと感じています。

 

 

わたしにとっての

 

〈救い〉

 

は…

 

目の前に歩いていた方が、突然目の前で躓かれて、転んでしまった姿があったとして、

そこに手を差し伸べて、その方の転んでしまった身体の状態から、立ち上がる時に、手と手を取り合うこと。

 

その立ち上がった時に、洋服に土などが付いていたら、一緒に払って差し上げて、

 

『擦り傷無いですか。』

 

ですとか、

 

『どこか痛い所、無いですか。』

 

といった、お伺いをして、

 

『大丈夫ですよ。』

 

といおっしゃるのなら、

 

『それでしたら、良かった。道中お気をつけて。』

 

というように、お言葉添えて、その場を離れること。

 

だから、日常の一場面と捉えていて。

 

 

〈助ける〉

 

ことについて言うのなら、

 

地図を持って、これから何処かへ行こうされている、目的地がありそうな方が目の前にいらっしゃって、

次は、どの道なりだ?こっち?!いや、あっちかな?!いや、まてよ、というような、ウロウロキョロキョロしているご様子の方に、

 

『どうされました?道、お探しですか?』

 

って、お尋ねすること。

 

だから、こちらも、日常の一場面と感じる言葉。

 

その時に、

 

『あぁー!助かりますー!実はどこどこへ…』

 

と、おっしゃるなら、その時に、一緒に地図を観て、どれどれ?になるし、

 

その場所を伺っても、わたしにはチンプンカンプンであったら、

 

他の方に一緒にお伺いを立てるなど、その場で自分のできることでの関わりをもって、

わたしでない、別の方で、その行き方にお詳しい方がいらっしゃったなら、ある種バトンタッチするようにして、

 

『では、わたしはこれで…』

 

って、その場を立ち去ることで。

 

だから、助ける、という言葉にも、なんら、特別なことと思っていないし、こうだあぁだと、定義?するようなものでもなくって。

 

 

〈日常〉

 

救いも助けも、日常であること。

“日常の中に” あるもの。

 

 

躓いて転んで無い人に、

 

『転びました?!今?』

 

なんて、道端で急に聴くことは無いだろうし、

 

キョロキョロしてない人に、

 

『今、確実に道、迷ってますよね?!』

 

なんて、突如お伺いをすることも無いだろうし。

 

だから、救いと助けは、日常で、

 

過度に過敏になりながら、使う必要のある言葉でも無くて。

 

 

だから、

日常において、色々な場面で溢れている光景の中に、この

救いと助けも、

自然なこととして、

その時々の人との関わりや対話の中で、

こころ通わせ、寄り添い合って、

歩み寄る時間と場の中に、

お互いがお互いへ

自然に、

表現し合えるものとして、

そのこころ、大切に、

そう観じます。

 

 

そのような

救いと助けも含まれた、

日常の中に、

自然なものとして、

お互いの対話と交流の中に、

笑顔が溢れ、喜びが溢れ、

一人一人の幸せが溢れている、

場と空間、時間があることを、

大切にしていけますように。

 

 

世代、性別、立場、国籍、

すべてを超えて、

一緒に育んでいける場と時間を創っていく、

心通わせ、寄り添い合って、

一緒に歩む道に、結んでいけますように。

 

本日  3月10日

明日  3月11日へ

祈りと願いのこころを添えて。

 

 

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星詠みと私、共にある理由

占星術って?

 

との質問に、

 

“占い”

と、表現されることがあるのは事実。

むしろ、ほぼ、占い、と言われてしまうものなのかも知れない。

 

占いは、人の運勢、物事の吉凶、将来の成り行きを判断・予言すること、

との説明もあります。

 

 

だけれど、

この説明だけに留まるものでは無くて、何か違う表現で、自分の言葉で綴れたら

と、ずっと想っていました。

 

この想いを、今日は、綴らせて頂きたいと想います。

 

 

ホロスコープ (ここでは出生情報から創るホロスコープ: ネイタルチャート)

それは、

人の命・魂のエネルギーの塊

人の命・魂、そのものを示してくれている、“曼荼羅” のようなものではないか

そう観じています。

 

 

ホロスコープ星図)〜

実際の天体の動きを採用していること、つまり、自然の摂理に従っている

という点があり、

そして、ホロスコープの細かなエッセンスも、自然界の見えないしくみが満載。

 

生まれた瞬間の天体(太陽・月・水星・金星・火星・木星土星天王星冥王星等)の配置を、12等分された円の中に表したもの。

 

自然界の秩序をギリシャ神話に基づく星座でラべリングしたのが天文学の始まりで、

西洋占星術はその星座のうち12宮(牡羊座魚座)をホロスコープの舞台とし、天体のアスペクト(角度)を投影させたもの。

 

雑誌やテレビなどの「星占い」というものは、

生まれたときの太陽の位置が12星座の示すどの方角だったかによって決まるもの。

 

それは、太陽の位置しか見ていなくて。

30度区分で1つの星座を通過するので、1か月間はずっと同じ星座の生まれになる。

 

太陽以外のほかの天体は観ず、個人レベルの太陽角度の日差変動も観ていないので、

少々ざっくり、となるものかも知れません。

 

ネイタルチャート (ホロスコープ)は生まれた瞬間の天体を、分単位の時間だけでなく出生地の緯度経度も考慮に入れて作成。

 

ホロスコープを考案したのはキバリオンを伝授したヘルメス(トート)だと伝えられています。

(だから私のセッションで使用しているタロットカードは、“トート”タロットを選んでいることにも結ばれます。)

 

 

ネイタルホロスコープの始まりは運気をみるための道具ではなく、

人間として生まれてくる前(魂だったころ)のわたしたちが、

どのような人生を生きたいのかを、描いたものも、一つではないかって。

 

 

学べば学ぶほど、私の中の探究心を駆り立てられた、ホロスコープ占星術

 

探究心

  

本質を見極める目を育み養うこと。

物事の本質や意義について、より深く掘りさげて見極めようとする気持ちを。

 

探究心を原動力にして。

 

 

自らで体験して、体感して、経験して、味わって、実感して…。

その上で検証と分析をして、

自らの足で情報も取りにいって掴むこと、

人との対話を通して、気付きを得ること。

 

直感や直観、閃きも、物事の判断と決断の一つの要素に入れて。

 

セラピーやセッションをさせて頂いた、全お客様にも、させて頂いた内容や過程の、

Before Afterのご様子や、どのような会話をして、どのような変容があって、

次のセッションまでの間は、どのように過ごされていて、そして次のセッションを迎えられたか。

脳に全て、記憶して。

 

 

机上の学びだけに留まらず、リアルやライブ、現実という、日常に落とし込めること。

知識や叡智を、こういうものって、定義されたものを知るだけ、勉強するだけ、暗記するだけのような状態にもせず。

 

自分の目で確認して、肌で感じて、匂いを嗅いで、味わって。

試して、確かめて…確信したものが、私の軸と真へと、繋げていけるように。

 

五感をフル活用して、

“わかること”は、“かわる”こと、へ。

 

 

 “自らで” 学んだ先に、思考なり行動なり、態度や言葉が、変わっていける、真の学びを。

自分を生ききることで、進化していけますうように、少しでも、人の中にあるであろう、神化と真理を、観じられますように。

 

 

そんな想いをこころに、確信と真理の体感をもって、お伝え出来ますように。

 

 

ホロスコープって、呼吸してるなぁって、感じる所もあります。

 

 

ネイタルチャートであるのでしたら…そのネイタルチャート (ホロスコープ) そのものが、お一人お一人の分身のように、命が宿ってるって、観じてます。

 

だから、

セッションをさせて頂く時に、

ネイタルチャート (ホロスコープ)に、時に新しい息吹をもたらすように、時に息吹を注ぐように、言葉をお贈りする

ホロスコープに、呼吸をし易く出来るように、天体一つ一つを愛でていくように

 

それぞれの天体が、呼吸し易いように、伸び伸びと、自由に、表現出来ますように。

 

 

そうすると…そのホロスコープ

氣力・元氣が、引き出されるように、観じるのです。

 

今現在の、お客様との対話を通しても、ここの天体が滞ってる?と感じたら…

その天体に焦点当てて、言葉を贈ったことで、

それぞれの天体にエネルギーの循環が起きて

一つ一つの天体が、生き生きしてくると…

その先には、お客様の表情が、一気に変わる、そんな瞬間に、立ち会わせて頂くのです。

 

 

そのお客様の表情は…

まだ眠ったままだった、曇り掛かっていた一部の命が…魂が…輝き始めた瞬間のようです。

 

 

肉体はDNAという細胞レベルの設計図がある。

観えないレベルの魂にも、人生の設計図がある。

 

聖なる知性として「The All」(神、自然)の一部の存在だったわたしたちが、

人間という具現化された存在としてこの世に誕生するということは…

お計らい、お導き、思し召し…何かしらの計画がある。

 

だけれど、今生に生きるとなって、魂とこころ、身体と共にある姿は、

自分の描いたドラマやストーリーを、忘れることになっている。

 

そのストーリーとドラマを、忘れたままにならないように…

必要なときに、必要な道を歩けるように…

自然の秩序の星の配置から、

こころに働きかけるしくみを

「The All」は創った。

 

 

ヘルメスがわたしたちに伝授してくれたホロスコープ (ネイタルチャート)は、

わたしたちの人生が最も楽しめるように、

有意義な人生を送れるように描かれた

わたしとして生まれた、奇跡と神秘の体現をするための曼荼羅

航海・冒険・宇宙旅行へのガイドブックのようです。

 

 

あなたが、この世に生まれる時に、

こういう所を、現世で味わって欲しい

こういう喜びを、体験してきて欲しい

出逢ったご縁ある人達に、

あなたは、こうして喜ばれ、愛される資質、添えてるから…

だから、思う存分、味わい尽くして

 

って、その言の葉に込めた、たくさんのメッセージを、星に託して…。

 

 

あなたからあなた自身に、悩ませようなんて想って、

あなたのホロスコープ (ネイタルチャート)は、創られてないはずだから。

 

あなたを泣かせようなんて、苦しめようなんて、悲しませようなんて…

そんな想いは一切、込められて無いはずだから。

 

 

だから…

 

幸せ、喜び、愛、豊かさを、思う存分、味わって、

このホロスコープ (ネイタルチャート) に込められた、あなたから、あなたへの愛のメッセージを、受け取って頂きたい、

その通訳人として、わたしは、星詠みと共にありたいと想うのです。

 

わたしも、もっともっと、自分自身のホロスコープ (ネイタルホロスコープ)を生ききる幸せと、

喜び、愛、豊かさを、体現していきたいと想っています。

 

まだまだ!使い切れて無いないですよ。

もっと、もーーーっと!謳歌したいです。

 

 

★星を知ることは、人を知ること

人を知ることは、人の命を知ること

 

そのようなきっかけにも、なりますように。

 

 

最後に…

星詠みと共にあって、気付けたことが、一つあって、鶏が先か、卵が先か、ですけれど。

 

わたしのホロスコープをですね、とことん!味わい尽くそうと始めた時…

そのホロスコープに描かれていた曼荼羅の、命と魂のメッセージは、

わたしの名前に、結ばれているって、観じたのです。

 

 

【貴子】

命の“貴”さを身をもって体現し、命の“始めから終わり”まで輝き尽くす“子”に

※子=始まりの“一”と終わりの“了”

 

 

【命と共にありたい、魂と共にありたい】

そう自ずと観じてきたのは

授けて頂いていた名前から…そう想っていたのか

ホロスコープ曼荼羅から…そう想っていたのか

 

名前とホロスコープ曼荼羅、この2つの関係は…

どんな結びに、なるのでしょう。

 

 

少しでも、この名前に託された、

命の“貴”さを自ら身をもって体現し、

その体現を通して、人の命・人生の“始まりから終わり”を、貴く導き、

輝かせる使命をもった子

であれたら…と想います。

 

 

みなさまとご縁がありました、その時には

みなさまのお名前と共に、ホロスコープを詠ませて頂けましたら

何か観じ観えるものも、あるかも知れませんね。

 

 

みなさまの命が、魂が、

いつまでも美しく、輝かれますように☆彡

  

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