〜星のせせらぎ 太陽と月〜

こころ・からだ・魂、笑顔・元氣・幸せ、これら3つで1つの言葉を大切に、言の葉 (音と耳、観じること)手 (氣、空氣、活力)目 (見守る、みつめる、慈しむ、愛)をもって、日々を日常を楽しく過ごすこと、自分の勤めにこころ寄り添い過ごしてます。占星術(心理占星術)・トートタロットリーディング・インナーチャイルドケアセラピー・おからだ/お顔セラピーなど

命の灯火を明るく温かく照らすように…

春休みシーズンの今。

 

その中、今日のこちらは、冬の陽気となりました。

 

みなさまのお住まいは、いかがでしたでしょうか。

気温の差に、体調も影響されるかと想います。

どうぞご自愛くださいね。

 

 

4月になると、新入生、新社会人、電車の中では真新しい制服やスーツを着た方々の姿も増え、新たなスタートの時期。

 

桜も咲いて…町中にはたくさんの花も咲き始め、そして、若葉の青々とした季節へ…。

 

 

新学期、新年度の始まり、その雰囲気を、頂き感じながら…わたしも今、準備していることがあります。

 

 

その準備にあたって…

3月は、答え合わせをさせて頂いていた、と感じる毎日でした。

 

 

そして、その時間を通して、わたしの根っこ、

大切にしたい核と言いますか、真と言いますか…感じたりもしました。

 

 

ー命の灯火を明るく温かく照らすように…

 

 

前にもブログで触れたことがありますが、

今までの道で、人の死に立ち合う場面が多くありました。

 

 

それは、祖父の死から始まり、

同じ歳だった親戚の女の子の、小学五年生の死、

小学時代、中学時代の友人たち、

祖母の死、

叔父の死、

職場の先輩方の死、

そして…実父の死であり、昨年末の、高校時代の友人の死…。

 

 

比べるものでは決してないけれど、

こんなにも身近な人の死に立ち合わせて頂いているのは…何故だったのだろうと思ったりもしました。

 

 

今は、もう、思いませんけれどね。

 

自分なりの答え、出ましたから(^-^)

 

 

その死の場面に立ち合う度に、

どん底という、悲しみを味わい、

その底から、何度も何度も、救って頂き、助けて頂いてきた。

 

以前のブログで書いた

 

 

ー〜救い・助け〜 この言葉に思うこと

 

hoshi-taiyo-tsuki.hatenablog.com

 

こちらに書かせて頂いたのは、

今まで味わったどん底で、

何度も何度も救って頂き、

助けて頂いて来た、

周りの方々のお陰があったから。

 

周りの方々がいらっしゃらなければ、

どん底から引き上げて頂けなかった

そこに通ずる想いがあったから。

 

 

人には助け助けられの関係は必要だし、

救い救われの関係は大切だと、心底、思ってます。

 

 

わたしの父が死んだ時、

この言葉を、体感として感じた、初めての時だったと想います。

 

 

わたしは、父が死んだ時、

一切泣かなかった、

泣けなかった、が、適切な表現。

 

 

父が死んだ時は、14歳のとき。

子供だったし、多感な時でもあったから、

より敏感で、より繊細で…。

 

 

でも、悲しんでる場合じゃない、と感じる、親戚のやり取りや、葬儀の準備などが目に映り、

今のわたしの年齢から見たら、自然なやり取りと言葉の掛け合いなのだけれど、

子供の時の私から見たら、大人の繰り広げている姿が何なのかが分からない、遠い世界のように見えて、理解出来ない世界に見えて…

 

泣く

 

という状況を、自らで手放すことを選んでいました。

 

 

何も発せず、ただただ、黙っていた。

 

静かに…自分の存在が、邪魔にならないように…。

 

 

このときのわたしは、確実に、こころが粉々になった、木っ端微塵になった、

と、今は振り返れます。

 

パリーンって、音、聴こえましたからね(笑)

 

 

だから、何も発せず、自分の存在を消していた、というより、消せていたのだと思います。

 

 

喜怒哀楽の全くない、

無表情の人形と化した

私が居たと思います。

 

 

そのような姿となったわたしで、お通夜の日を迎えました。

 

 

お通夜では、下を向いて座って、

ただただ、遠くにお経の声が聴こえていたような…気がする…。

 

 

そんな虚ろな状態だったと思います。

 

 

そんな自分の目に入って来たのは、

お焼香をする小学校時代の恩師(男性)の姿。

 

 

私を見た恩師のその目には、

力強い眼差しで

 

【大丈夫か】

 

というこの言葉が、発せられていて、

すぐに私の元に、そのメッセージは届きました。

 

 

その時もまだ、わたしは、泣けなかった。

泣いたふりは、していたけれど。

ちらっとだけ、恩師を見て、

お辞儀をして、また下を向きました。

 

 

そして、お通夜が終わり、親戚のみが残った時間。

座っていた場所から立ち上がろうとした瞬間、

ふと、目線を送ってみると…

 

その先には、恩師の姿がありました。

 

 

葬儀場の入り口に、恩師は立っていました。

 

 

ずっと、ずっと、お通夜が終わるのを、私に声を掛けるのを、恩師はずっと、待っていたのだと思います。

 

 

明らかに、わたしの様子がおかしいと、

小学校の時の、

『陰日向のない子』

と、

表現した恩師のわたしへの言葉。

その姿からは、明らかに違う姿を、見抜いていたのだと思います。

 

 

『たか!!!』

 

 

小学生時代の私への呼び方のままに、私の名前を叫んだ恩師。

 

 

わたしは、その声と共に、気付けば恩師の胸の中に走っていました。

 

そして、必死に恩師の胸を掴んでいました。

 

 

そこで、わたしは、発狂するように、初めて泣けたのです。

 

 

『あぁぁぁーーー!!!死んじゃったよーーー!!!死んじゃったよーーーー!!!!!

なんでーーーー!なんでーーー!!!???』

 

 

誰にも言えなかった、でも、言いたかった、この言葉。

誰に言ったとしても、きっと、答えの返って来ない、この言葉。

 

 

わたしの発したこの言葉、

その言葉の答えは

誰も分からない、知らないということを、

私は知っていました。

 

何故なら…

 

ー答えが知りたかった訳ではなかったから

 

 

ーなんで、死んだの??

 

人には寿命があって…

人間最後には必ず、命というのが耐えて…

人それぞれの命の終わりがあって…。

 

目には見えないけど、お父さんはずっとあなたのそばに居るのよ。

肉体としては、見えるものは亡くなるけれど、魂は生き続けていくから。

 

 

そういう仕組みのような、命の営みのような…そういう“答え”を、聴きたいのでは無かったから。

 

 

ただただ、発したかっただけでした。

 

 

こころのままに、想いのままに、その言葉を発して、

 

ただ、ただ、その悲しみのままに、泣き尽くしたかっただけでした。

 

 

母親も、兄も、親戚も、わたしのこの取り乱し振りには、相当、驚いたことでしょう。

 

 

だけれど、溢れ出たものは、

決壊が取っ払われたその心は、

どうにもならなかった。

 

 

その時に、何も言わずに、恩師は、ただ唯、抱き締めて、

そして、わたしの頭を揉みクシャになる程、撫でて撫でて、撫で回してくれました。

 

 

『…うん…!…うん…!!!…泣いて良い!!…泣いて良い…!!!!!』

 

 

涙を堪えて、泣くことを堪えて、

わたしをただただ抱き締めて、

頭を撫で続けてくれた恩師。

 

 

身体が震えて、発する声も震えていたこと、

抱き締められた恩師のその腕から

身体から伝わってきた

恩師のこころ、想い、姿に

言葉に

わたしはどれだけ、

救われただろう、

どれだけ、

助けられただろう。

 

 

粉々に砕け散ったわたしのこころに、

命に、

どれだけの光を注いでくださり、

そしてその時のわたしの命に

灯火をもう一度、灯して、

命を芽生えさせて下さっただろう…。

 

 

本当に、救われました。

本当に、助けられました。

 

 

ここで誤解の無いように、綴らせて頂くと…

わたしの泣けなかったことは、

母親がどうとか、兄がどうとか、親戚がどうとかでは、決して、ありません。

 

 

今のわたしから、その時の私の姿を見るならば、

幼少の頃の、わたしから母親や兄、親戚への、精一杯の一つの愛の形で、

皆も悲しいのだから、わたしだけ泣きじゃくれないと、泣かないを選んでいただけ。

 

 

当然、母親も、兄も、親戚も、わたしがこうやって、恩師の前で泣き叫んだようなことを、母、兄、親戚にしたとしても、

受け止めて抱き締めて、支えて…

泣く姿を、全面で、全力で、包んでくれる愛はあったと、そう思っています。

 

 

その泣くきっかけやタイミング…

いろんなことが、色々あって、

言葉にして表現するのは難しいのですけれど…

 

 

何かが、あった

 

だけ

 

泣けない何かが、あっただけ

 

と。

 

 

私特有の感覚と、表現かも知れないですけれど、

 

 

ただ、そうだった

ただ…だった

 

 

なのだと、思っています。

 

 

これだけの命のさよならに、

立ち合わせて頂いたこと。

お一人お一人の命の重み、

生きていること、

というよりも、

生かして頂けている

この奇跡を、

めぐり逢えたというご縁を、

わたしはもっと、もっと、愛でていきたい。

支え支えられの人と人に、

お互いさまの人と人に、

お陰様のこころの触れ合いに、

お力、お役目、お手伝い…

させて頂けることがあるのなら、

この命を使わせて頂いて、

勤めさせて頂きたい。

 

ー喜び幸せ、笑顔を…一緒に、分かち合っていきたい

 

 

これが、わたしからわたしへの、

こころからの想いであり、

こころからの願いなのだと、

今、思います。

 

 

4月の始まりを前に、

わたしの原点を、

確認しておきたかった

認めておきたかった。

 

 

そして、今までのすべてのものに、

人に、出逢いに、経験に、出来事に

 

ーありがとう

 

この言葉を、添えて…

4月を迎える今へ…

 

結びたいと思います。

 

 

最後まで、お読み頂きまして、誠にありがとうございました♡

 

 

ー命の灯火を明るく温かく照らすように…

 

 

みなさまとご一緒に…

巡り合い、出逢うことの出来た、

かけがえのないご縁のみなさまと

共にあれますよう…

生かし生かして頂けますよう、

こころから、願い祈って…。

 

 

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