〜星のせせらぎ 太陽と月〜

こころ・からだ・魂、笑顔・元氣・幸せ、これら3つで1つの言葉を大切に、言の葉 (音と耳、観じること)手 (氣、空気、活力)目 (見守る、みつめる、慈しむ、愛)をもって、日々を日常を楽しく過ごすこと、自分の勤めにこころ寄り添い過ごしています。おからだ・お顔セラピー、インナーチャイルドケアセラピー、心理占星術・トートタロットリーディングのセッションなどに従事。

さじ加減に想う

今週の始まり、月曜日。


みなさま、いかがお過ごしでしたでしょうか。



はじめに


本日も、色々なお話し、情報、


訃報のお知らせ


ありました 一日でしたので


ここで言葉、添えさせて頂けましたらと思います。



本日、亡くなられた


皆さまはじめ


本日だけでなく、


世界各地で、お亡くなりになられた方々に


ご冥福を心よりお祈り致します。



大切な方を亡くされた、


ご家族の皆さま、ご縁あります皆さま


心よりお悔やみ申し上げます。



2020年に入りましてから、より一層、


SNSを介して


日本のこと


日本に留まらず


世界のこと、


地球でのこと、


色々なこと、もの


起きていること、


目の当たりにすること


増えているかと思います。




毎日毎分


「わたし」の周り


さまざまな言葉や感情、


考え、情報


飛び交うように


錯綜するように


取り巻かれてもいるかと思います。



その言葉や感情などによって


「わたし」の感情も、考えも、


今日はこっちに、今日はあっちに


との方々も、いらっしゃる


今・このトキでは、と感じてもいます。



温度差や、感度の違い・異なり


感覚、価値観?の違い・異なり


など…


そのようなものも


SNSを介して感じている


「今・このトキ」


との方々も、いらっしゃるかと思います。



そのような「今・このトキ」に観じる


SNSについて。



あくまで、私個人のことであることも、前提に、


SNSとの関わり方、在り方


表現、内容、言葉について


SNSをはじめた頃から心掛けているものを、


『さじ加減に想う』に添って、


本日はここに、書かせて頂こうと思います。



こちらもだいぶ、長文となりましたが、


宜しければ、お付き合い頂けましたら幸いです。



先日のある投稿でも、書かせて頂きましたが、


『10人居たら10通りの見方がある


100人居たら100通りの見方が “生まれている”


その〈見方・捉え方・感じ方・観じ方〉は


世の中の人の数だけ、多種多様』



同じものを見ても、


同じものを聴いても、


受け取り方、受け止め方が


ぴったり、同じになることは、なく。



一度で、捉える


何度でも捉えられない


といったこともある。



人の痛みを、完全に、


こちらも同じ痛み分・量にして、分かれることは、


不可能で、


こちらの痛みも、完全に、


人も同じ痛み分・量にして、分かれることも、不可能。



分かり合えないトキもあり、ものもある、


分かり合えるトキもあり、ものもある。


けれど、どのような中にあっても、


想像力


相手を想う


という《もの》は、


「わたしのこころにある」


そう思っています。



◆さじ加減

配慮や、やり方、

何かを行うときのバランスや加減のこと。



こちらも


『10人居たら10通りのさじ加減


100人居たら100通りのさじ加減が “生まれている”


その《さじ加減》は


世の中の人の数だけ、多種多様』



あるものに対して、


そこまでするの?という、細心さもあるでしょうし


その程度?という、軽さのようなものもあるでしょう。



けれど、「私」から見たら、“そう” だけど、


そこまでするの?と見えていても、

実は、まだまだ、もっともっと、足りないな、と、

こころでは思いながら、《あちら》はしているかも、知れない。


その程度?と見えていても、

実は、充分、している、これ以上は難しい、と、

こころでは思いながら、《こちら》はしている、かも知れない。



SNSについて言えば


「今・このトキ」に


このような内容の投稿

(いわゆる、ネガティブ的に、悪しとするような、このよう内容、と、「私で」みている投稿)


このような内容の投稿

(いわゆる、ポジティブ的に、良しとするような、このような内容、と、「私で」みている投稿)


ざっくりと、大雑把に表現するなら、

このようなどちらかにて、無意識に、という感じにて、見ている場合もあるかも、知れません。

 


その「見ている」に


さじ加減があるかどうかは…


いかがでしょうか。



こういう時くらい、控えよう?!


こういう時だから、こうしなければ?!


これも、同じお天気・雨の日に、


雨が降って喜ぶ場合(日照り続きの田畑に恵みの雨)

雨が降って困る場合(運動会など、雨が降ったら雨天中止)


が、それぞれに違う・異なるに、通ずるものかも、知れません。




置かれている状況や立場も含めて


その状況や立場に、実際、なってみないと分からない場合も、無くはないし、


なってみたって、分からない場合も、無くはない。



〈見方・捉え方・感じ方・観じ方〉


重くも軽くも、というように、人の数だけ、あるものだから、


このような内容の投稿

(いわゆる、ネガティブ的に、悪しとするような、このよう内容、とみている投稿)


このような内容の投稿

(いわゆる、ポジティブ的に、良しとするような、このような内容、とみている投稿)


という


〈見方・捉え方・感じ方・観じ方〉


の、それぞれの違い・異なりが、


今年に入りましてからのSNSの内容・情報をきっかけに、


色濃くなっているように、と、観じています。



発信側・受信側の


さじ加減の大切さ


観じたりもします。



という、内容を踏まえて、


私個人の


SNSとの在り方、関わり方、


表現、内容、言葉について、


『さじ加減に想う』


3つ、まとめさせて頂きます。



1つは、

誰しも、ある種の影響力がある

ということは、頭に・自覚して、の、さじ加減。



たった、一言、その一言が、

なかなか、結構、

思いの外、こころに響いていたりもする。



だから、(滅多にあることでは無いかと思いますが)感情をぶつけるような、

口調なり、言葉なり、表現なり、が、

その投稿の、内容や、言葉遣い、言い回しなどに、入っていないか、

読んだ方が、どう感じるか、出来る限り、想像して、

投稿する前に、


《一呼吸》置いて


投稿するように、心掛けています。



もちろん、近しい人達の間、内々、気の置けない方同士での投稿や、

コミュニティ的な投稿などでは、ある種の、分かり易い喜怒哀楽の感情があるから、

SNSは良い、などのお気持ちや、

それ(喜怒哀楽があることが)SNSだろう、とのお気持ちも、人によって、あるかと思いますが、


あくまで、《私個人》のこと


ですので、ご容赦くださいね♡

(以下2つも、同様です。)



2つ目は、

読み手側に「私」あるトキ、

その投稿なり内容、言葉を読んだトキ、

いつもとは違う感情(例えば大きく揺れ動く心模様、激しい何か・感情)が生まれているのなら、

その感情がどのようなものか


「あっ、喜んでる、楽しんでる、怖がってる、怒ってる、悲しんでる…」


その感情を見つめたり、感じたりする、といった、さじ加減。



例えば、「今・このトキ」でいうのなら…


何かを読んだり聞いて、(恐怖心は、自然なことですが)

激しいほどの怖さ、震える程の怖さが湧き上がったとして。



そのような場合なら、

その文章や聞いたことによって派生した、恐怖心によって、

連鎖するように、怖くなるような想像が始まって、

あたかも現実に起きているような、臨場感により、

一種の混乱のようになっている、とも言えるから、

適切な判断が、出来なくなっている可能性があって。



そうなってくると、そのような状態(恐れ)から、もし、何かを選択しようとしたり、行動をしようとしてしまったら、

大概にして、適切な選択も行動も、生まないと言っても過言ではなく。


だからここでも、


《一呼吸》を大切に。



その上で、改めて、感情が揺さぶられた内容を読み返すなり、聞き直すなり、を、してみる。



すると、一呼吸置いて、冷静になれているなら、

先ほど読んだり聞いた内容が、

違う風に見えたり聴こえたり、してくるもの。


感情的でなく、聴いているトキには、

参考に、参照とする、適切な情報として、

活かせるようになるものと、観じます。



情報などに、「自分で自分を振り回す」でなく。



といっても、


「今・このトキ」そんな自分の感情をみつめることなんて、余裕なんて、ありませんよ!


との方もいらっしゃったら、ごめんなさい。


あくまで、私個人のことであること、ご容赦くださいね。



最後に3つめ。


2つめの内容に、重なるものですが、


SNSなどの情報の内、

「どこかでシェアされた記事」

(自発的に、探して読んだもの、というより、

例えば、たまたま、あるSNSを開いたら、フォロー先がシェアした記事が目に入って、読み始めたもの)

などを読む際、


余白を持って読むこと、大切に、と心掛ける


さじ加減と、


その記事を


「私も」シェアするかしないか、


という、さじ加減。



イメージは、握り締めるように、ではなく、

適切な距離、間合いのある「参照さ」、にて読む、

でしょうか。


吸収し過ぎよう、とするでもなく。



人と人、顔を近づけ過ぎたら、その人の肌しか見えないですよね。(って、極端な例えですが。)



適度な距離があるから、

その人の顔も、頭も、全体像がみえる、ように



なので、握り締めてるかも…顔近づけ過ぎてるかも…と思ったら


《一呼吸》


を。



これは、シェアされた情報が、目に入ったことをきっかけに読んだ、に限らず、

上記2のように、SNSの情報や記事を、自発的に読んでみたトキ、

こちらも、もし、(上記2のように)

過度に気になる、疑問になる、過剰に怖くなる、 など、大きく揺れるような感情があったなら、


『自分でも』調べたり、知ったり、をする。



どこからの情報か、どこからの記事か。


調べても、判断仕切れない内容なら、一旦、横に置いておいて、


《まず、一呼吸》


それでも冷静になれないなら…



『さて、どうしましょうか。』



って、そこから先は無いの?どうするは無いの?


と、もし、思われたとしたら…


「はい。」しか、


ここでの「私の」言葉は、ないでしょう。



なぜでしょう?



それは、上記の2の内容と含めて言えること、なのですが、


もし、そこまでの冷静さが、仮に、無い状態だとしたら、ですよ、


「こうするのは、いかがですか」「こうですよ」と、


どのように、

どなたが、

おっしゃったとしても、


決して、落ち着かないはずです。



場合によっては、より、ぐらぐら、大きな感情に、なるかも、知れません。



となったら、その(感情の)過度さによっては、


然るべき方に、気の置けない方に、


今感じられていることなどを、ご相談やお話し、時に確かめる、などして…

という


「御本人の」

納得なり、理解なり、気が済むなり…


をすることが、


“こちらから”  の、「言葉」になるのでは、と、観じます。



また…


こころをいじらない


というのも、適切かと思います。



怖がることも、不安になることも、

少なからず、人はあります。

むしろ、それが、自然です。



その度合い(喜怒哀楽の姿)も、測れるものではありませんが、


こんなに怖がるなんて、不安になるなんて、と、


自分の今の状況・状態が、


『特別』なのでは、『異質なのでは』と、


“繰り返し思い続けて思い込んで…”


となってしまうなら、


それは、一つの判断として、


『過剰になってる“状態”』として


冷静でないことの目安を知る


“きっかけ” にして


こころをいじらず


場合によって


然るべき方に、気の置けない方に、


今感じられていることなどを、ご相談やお話しや、確認などして…


徐々に…


落ち着いていかれたり、過剰さ、過度さは消える


かと思います。



SNSの良さであり、

場合によって、誤った連鎖が起こるものの1つに、

記事やニュースなどのシェアがあると、思っています。



FacebookTwitterなどで、

ご自身のフォローしている所から、

何かの記事をシェアしていらっしゃったり、投稿されていると、

巷で飛び交うものよりも、

その発信元の記事を、その発信元のシェアの内容を、

より深く受け止めたり、読んでしまったり、

より参考にしてしまったり、

という、人の心理もあるかと思います。



その発信元の情報やシェアによって、

知らなかったことを知れたり、大切なことに気付けたりするのは、とても素晴らしいことですし、助けられることもあるのも、確かです。



ですが、

こちらも極端な例えの表現にて、恐れ入りますが、

崇拝するような、信じ方になって、読んでいたら、(と…こうなっているトキは、自覚なく、自然に、のめり込む、のような状態かも知れませんから、自分で分かるか気付くか…の方も、場合により、ですが…)


《深めの一呼吸・深呼吸》


が、必要かも知れません。



また、発信元や発信元のシェアの内容や

情報、言葉、表現の仕方、などをきっかけに、

その発信元や発信元のシェアをされた大元の


〈見方・捉え方・感じ方・観じ方〉


が、どのようなもの=視点・目線から、放たれているものなのかを、知ること=想像力を発揮することも、大切と観じます。



例えば、分かりやすい例えで表現するなら、

その発信元や発信元のシェア・大元の内容が、

楽観的過ぎたり、悲観的過ぎたりという、


過剰さや過度は

いかがか


というような。



先ほどもお話ししましたように、

こちらも、「私」がもし、冷静さを欠いていると

過度な悲観的なものをより、読むようになっていたり、

過剰な楽観的なものをより、読むようになっていたり、

もしますから…


《一呼吸》



その情報、その話しの内容


握り締めてるかも…顔近づけ過ぎてるかも…と思ったら


《一呼吸》を。




こちらも、そんなこと言ったって!の内容になってしまうかも知れませんが、


もし、今、自分が、過度の過剰の不安や恐怖などから、

SNSをどんどん読み続けていたり、

読まなくても良いのに、習慣的に、なんとなく、落ち着かせる、時間潰しのような…などで、


無意識に


というような、使い方になっているのなら、


SNSから、離れた方が良いトキ、控えた方が良いトキ


として、使い方を見つめてみるのも、いかがでしょうか。




ここでも、イメージが湧きやすいもの・不安や恐怖について、引き続き、例えにしてお話ししていますこと、恐れ入りますが、


不安と恐怖があるトキに目にするものは全て、

不安と恐怖に紐付けしていったり、関連付けていってしまうから、

より、不安に、恐怖に

その不安と恐怖を紐づけていくように、無意識に、情報を拾い集めてしまいます。


自分から自分に、(安心するどころか)

不安と恐怖、むしろ煽るように、確信するように、探してたりするものです。

不安や恐怖に常習性が出てきたりもします。



自分の不安と恐怖を、証明するように、見てしまっていることさえ、気付けなくもなってしまうものです。



こちらご覧の

皆さまは、ここまでの、過剰さ、過度さで、SNSによって、不安や恐怖心に苛まれてはいらっしゃらないかと存じますが、

もし、過度さや過剰さがあるかも、と、お感じでいらっしゃったなら、

身近な人や、他 ご相談した方が良いと思われる方に、話すことも、大切なことと思います。



そして…


音楽を聴いたり、本を読んだり、絵を描くのもいかがでしょう。


料理するのも、掃除洗濯も、いかがでしょう。


SNSのほかに、視点を向けることも、大切に。



何事も、

お一人で抱え込まれることの無いように、溜め込まれることのないように✨


SNSをより良い活用法に…✨

気の置けない方に、お電話したりも、いかがでしょう。

顔見た通話もいかがでしょう。



SNSはじめ、何事も


『扱い方』


と、観じます。



「私も」シェアするかしないか


こちらは、1の記載に重なりますが、


誰しも影響力があることを


観じたのなら…


自ずと、「私も」なのか、いなか


観えてくるのではないでしょうか💫



本日は、このような形にて、お送りさせて頂きました。


いかがでしたでしょうか。



最後までご覧下さった


皆さま、ありがとうございました。



日常の生活で心掛けること、気に掛けること、守ること、粛々と、大切に。


お一人お一人の状況や立場、環境などに応じた、動きも、粛々と、大切に。



私自身も、私にとっての、勤めを、真摯に、こつこつ、粛々と、大切に。


調和のこころをもって、尊重のこころもって


より良くお贈りますには、どうしたら、を、日々問いながら


勤めて参りたいと思います。



至らないところもあるかと思いますが、


引き続き、変わらない投稿も


お客様からのご感想や、吉報のご報告も


お知らせなども含めて、


多岐に渡る内容を


さじ加減を心掛けながら


お贈りします所存です。




~心に潤いを


表情に愛を~


お贈り出来ますように。




今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。



2020年3月30日

🌙星のせせらぎ太陽と月☀️

秋葉  貴子




《いつかの、野に咲く、お花✨》

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